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  • realclothes888
  • 2014年2月13日
  • 読了時間: 2分

それは、

美容の分業化です 

以前は、サロンワークの延長線上にスタジオワークがありましたが、エージェンシー(スタジオワークのみ)の存在が徐々に増え始めました。

その背景には、接客、クイックサービスと言った、ビジネス的なマニュアル(合理化)を導入するサロンが増えた為、ヘアースタイルに要求される高度な技術力を美容師が失った事が原因です。

そして、美容業界も他の企業と同様に資本力のあるサロンが買収を始めます。

1990年後半から、ジャンクロード・ビギン /  フランク・プロボーは大きくフランチャイズを増やします。

2010年、ジャンクロード・ビギン360店舗、フランクプロボーに至っては2600店舗、ジャンルイ・ダヴィッド、他有名大手サロンも続々買収されています。

そして、マニアティスParisも2000年経営方針見直しのため、kenzo、他エリートが退社後勢いを失い、2010年フランクプロボーに買収されます。

それ以前に、オーストラリアからマニアティスParisに修行に来ていたジョンサハグ氏はアシスタントのままニューヨークに渡りNYドライカットで活動し成功します。

kenzo率いるエリート集団は、2000年“ カットテクニックの最終型 ” とまで言われたカットテクニック&エスプリを世に残すためにAgence21という会社を設立し、世界の美容師たちへの教育に力を入れ始めます。

この時、本物の門外不出だったカットテクニックが世にでる事になります。

しかし、そこには政治的な働きが立ちふさがります。表たっての活動を虐げられながらも少しづつ共感する美容師が集まり日本での活動もはじまります。

リアルクローズグループは、Agence21設立当初から四元兄弟を筆頭にParisに通いはじめます

また、PARISでのカットトレーニング参加時に、フミの中学生までの同級生CHIAKI氏と中学卒業以来はじめてPARISで再開という奇跡的なことも重なり、密に交流する事になります。(CHIAKI氏はAgence21講師)

リアルクローズのカットテクニックが、他サロンと違うのは、その様な歴史があってのことです。 これまでの美容の歴史を簡単にまとめてみました。

また、これから先まだまだ美容の歴史は続きます

新しいページをつくるのは、いつの時代も若い人達です。どんどんチャレンジしてほしいと思います。


 
 
 
  • realclothes888
  • 2014年2月11日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年5月3日


トニー&ガイ

イタリア系の父を持つ4人兄弟の兄2人でスタートをし、後に弟2人も加わり 「技術はロンドン。感性はイタリア」 のコンセプトでスタートしました

TONI&GUY がサスーン以降イギリスの新勢力として活躍しはじめるのは1980年代に入ってからです。1970年代後半はサスーンの一人勝ちの様な状態でしたが、斬新なデザインを武器に1980年以降、知名度は上昇していきました。

しかし、1985年以降ジオメトリックブームに勢いがなくなり停滞していましたが、イメージ戦略と教育を充実させ2000年から再度火のつき始めたジオメトリックブームに乗り復活をとげます。

ジャン ルイ ダヴィット

ジャンルイ ダヴィットは1970年後半から、いち早くフランス国内においてフランチャイズ展開を始め成果を上げました。

バリカンを使用するカットテクニックとアメリカンシステムを導入したカット時間を短縮するクイックサービスは当時のヘアー業界では斬新でした。

モッズヘアー

mod‘s hair は1968年パリで、フレデリック・ベラール、ギィギョーム・ベラールの兄弟と他2人のフランス人4人が始めました。撮影のモデル達のヘア・メイクを専門に行う、パリで最初のヘア・メイクアーティストのエージェンシーを設立したのち、1974年にパリにヘアサロンをオープンしました。

1978年には、日本初のモッズ・ヘアーサロンを田村哲也が、東京ラフォーレ原宿にオープン。その後、日本国内においては、マガジンハウスとのメディア戦略と、初のフランスブランドの国内進出ということで驚異的な勢いでフランチャイズの数を増やしていきました。

量産からクオリティーに、、、

大きな衝撃 3

進化するカットテクニック

サスーン後の、カットの考え方を180°違う角度から新たに定義したのが、

ジャン・マルク・マニアティス

です。

門外不出の技術と言われるほどの、徹底した技術管理と実力主義のもと、スタイリストは皆カットテクニックだけでなく、スタジオワーク、コレクションで活躍できる技術力を要求されました。

そして、クオリティー維持の為、国内でのサロン展開もフランチャイズを作らず直営店4店舗のみの経営にこだわり、通常の倍以上となるカット料金も技術への自信とこだわりから成り立っていました。

また、マニアティスサロンを語る時、忘れてならないのが、 

KENZO

です。

日本人初のテクニカルディレクターに20代で昇進し、パリコレなどのアパレル関係、雑誌等のプレス関係、モデル達の髪は多方担当し、サロン内外の教育、カットの革新を進め裏からマニアティスParisの繁栄を築きました。

1990年代からスーパーモデルが話題を呼び、ヘアースタイルもナチュラルからソフィケイトな雰囲気に変わってゆきます。

1990年代に入って再び業界に変化が起こります。

それは、

次回につづく


 
 
 
  • realclothes888
  • 2014年2月9日
  • 読了時間: 1分

ジャック・デサンジュ

1960年代は、ヘアースタイリストとしてフランス国内において活発に活動を続けていました。

そして、1979年のフランチャイズ展開と80年スクールの開校をきっかけに、その知名度は世界中に広まり、2010年には700サロンを有しています。

大きな衝撃 2

ジャック・デサンジュを語る時に、忘れてならないのは 

ブルーノ・ピッティーニ の存在です。

誰もが認める、その天才的なパフォーマンスと絶対的なカリスマ性は、世界中の美容師に夢を与えました。

そして現在、フレンチカットと呼ばれている “立て切り” を理論化し、世界に広めた事で美容界に大きな利益をもたらしました。

フレンチカット “立て切り” は頭の丸みを利用したフェミニンなカット

1970年後半から1980年前半までジオメトリックが主流でしたが、そのシンプルさとブルーノの演出によって80年後半はフレンチカットが一気にブームになります。

1990年代に入ってからは、デサンジュからジャックモアザンへと移りアートディレクターとして活動していましたが、残念ながら1995年病により他界してしまいました。

次回につづく


 
 
 

エフィラージュカット

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