トニー&ガイ
イタリア系の父を持つ4人兄弟の兄2人でスタートをし、後に弟2人も加わり 「技術はロンドン。感性はイタリア」 のコンセプトでスタートしました
TONI&GUY がサスーン以降イギリスの新勢力として活躍しはじめるのは1980年代に入ってからです。1970年代後半はサスーンの一人勝ちの様な状態でしたが、斬新なデザインを武器に1980年以降、知名度は上昇していきました。
しかし、1985年以降ジオメトリックブームに勢いがなくなり停滞していましたが、イメージ戦略と教育を充実させ2000年から再度火のつき始めたジオメトリックブームに乗り復活をとげます。
ジャン ルイ ダヴィット
ジャンルイ ダヴィットは1970年後半から、いち早くフランス国内においてフランチャイズ展開を始め成果を上げました。
バリカンを使用するカットテクニックとアメリカンシステムを導入したカット時間を短縮するクイックサービスは当時のヘアー業界では斬新でした。
モッズヘアー
mod‘s hair は1968年パリで、フレデリック・ベラール、ギィギョーム・ベラールの兄弟と他2人のフランス人4人が始めました。撮影のモデル達のヘア・メイクを専門に行う、パリで最初のヘア・メイクアーティストのエージェンシーを設立したのち、1974年にパリにヘアサロンをオープンしました。
1978年には、日本初のモッズ・ヘアーサロンを田村哲也が、東京ラフォーレ原宿にオープン。その後、日本国内においては、マガジンハウスとのメディア戦略と、初のフランスブランドの国内進出ということで驚異的な勢いでフランチャイズの数を増やしていきました。
量産からクオリティーに、、、
大きな衝撃 3
進化するカットテクニック
サスーン後の、カットの考え方を180°違う角度から新たに定義したのが、
ジャン・マルク・マニアティス
です。
門外不出の技術と言われるほどの、徹底した技術管理と実力主義のもと、スタイリストは皆カットテクニックだけでなく、スタジオワーク、コレクションで活躍できる技術力を要求されました。
そして、クオリティー維持の為、国内でのサロン展開もフランチャイズを作らず直営店4店舗のみの経営にこだわり、通常の倍以上となるカット料金も技術への自信とこだわりから成り立っていました。
また、マニアティスサロンを語る時、忘れてならないのが、
KENZO
です。
日本人初のテクニカルディレクターに20代で昇進し、パリコレなどのアパレル関係、雑誌等のプレス関係、モデル達の髪は多方担当し、サロン内外の教育、カットの革新を進め裏からマニアティスParisの繁栄を築きました。
1990年代からスーパーモデルが話題を呼び、ヘアースタイルもナチュラルからソフィケイトな雰囲気に変わってゆきます。
1990年代に入って再び業界に変化が起こります。
それは、
次回につづく