探求Ⅱという本に、
「 ヨブ記では、神の試練に対して信仰を貫いたヨブは、最後に妻及び同数の子供とより多くの家畜を与えられる。
しかし、どうしてそれで償われたといえるだろうか? 死んだあの子が取り戻されたわけではないのだ。「ヨブ記」を読んだ後に残る不条理感はそこにある。
ヨブにとっては、妻子は家畜と同じ財産であり、したがって右のような疑念は生じないのである。 彼らは、妻子を 特殊性 にみている。
キリスト教においては、 「99匹の羊より1匹の迷える羊」 という寓話は、数量の問題ではない1匹の羊とは、其々がこの羊なのだ。 キリストは、羊を 単独性 にみている。」
ここにでてくる、「特殊性」 と 「単独性 」
人が自分以外をみる時、この2つにみると考えられる。 美容界の場合、ヘアースタイルを取り返しのきくもの。又は、常に新しいものへと切り替えていくので、特殊性 と捉える。
流行りのヘアースタイル、ファッション雑誌に載っている様な美容室などは特殊性の最たるものである。 わたしは、1999年まで日本の特殊性的な美容界に疑念を感じつつも、お金儲けの手段と捉え美容師を続けていた。
上記の不条理感があったのだ 。
フランスに行き、Parisの美容師たちにトレーニングをうけ、彼らのヘアースタイルの作り方に感動を得たのは、当然だったのかもしれない。 なぜなら彼らは、ヘアースタイルを単独性につくるからである。1人1人をつくりこむ。
日本のような、皆がソバージュや巻き髪なんて有り得ない。 わたしが美容師を続けていれるのは、わたしの美容界に対する意味不明の不条理感を解決してくれたParisのおかげである。
日本において、わたしは単独性にヘアースタイルをつくる美容師を少しでも増やしたい。と活動を続けている 。
だからリアルクローズには、単独性にヘアースタイルを作りたい美容師が集まってくる。 当然、他所の美容室で長年特殊性にヘアースタイルを作ることを疑念に抱いていた美容師たちである 。
本の続きに、
しかし「ヨブ記」が重要なのは、むしろヨブがあの世に何の関心も持っていないことである。この世の問題は 「この」 世で解決されなければならない。 あの世と復活を持ち込んだキリスト教においては、この不条理は解決されたようにみえる。しかし、この世界での出来事はけっして消去することができないし、大替することができないという認識は、福音書の確信に残っている。 かくして旧約聖書は「歴史」の書となる。と書かれている
四元弘忠