探求Ⅱという本に、
「犬」 と 「この犬」 の時、重要なのは「この犬」の 「この」 の方であって、、、、とある。
犬を飼っている。 名前をレティという
私・・・「 もう、レティも11才なんや 」
友人・・・「 ・・・ 」
私・・・「 後、5年も生きてくれれば御の字かな? 」
友人・・・「 また次の犬を買えばいいやん 」
私・・・「 ・・・ 」
友人・・・「 ・・・ 」
「犬」 と 「この犬」 で肝心なのは 「この」 の方であって、、、。
「この犬」 の場合、他の犬では代替えできない 「この犬」 という単独性を指す。 私は、関西時代にスポーツカーに乗っていた。
東京に来ることで手放した。 大事に乗っていたし思い入れもあった。しかし、そのうち車が必要になれば買えばいいと思っている。 私にとって、「車」 と 「この車」 の 「この」 は、どちらかと言えば然程重要ではない。
しかし、「犬」 と 「この犬」 の 「この」 は 凄く 重要で、取替えのできないものである。
もし、貴方の子供が亡くなったら、代わりの子供を産めば同じだろうか? 形式的には、子供が1人という現実に変わりない。しかし、最初の子供は 「この子供」 であって他の子供で取替ができないはずである。
資本主義社会の中では、モノが売れないと経済が滞る。だから、 「この」 という考え方は見過されるようになり 次第に物を使い捨てにするのが苦痛でなくなり、一時の状況のために犬までも保健所に連れて行き、泣きじゃくる子供に 「また新しいのを買ってあげるから、、、」 と言う親がいる。とまで聞く。
高度成長期は終わり成熟期に突入している。低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指し、これからの日本の国のあり方に、 「この」 という考え方は重要で、貴方の資産に 「 この 」 をつけて大事に使ってみてはどうだろうか?
物づくりに携わる職人の人々は、思いを込めて商品を丁寧に作れるようになるだろうし、作品に対しての思い入れも大きくなるだろう。おのずと物つくりの人たちの人生も充実したものになるだろうし、質の高い商品が世に出回る機会が多くなるだろう。
さすれば、
三島由紀夫の言っていた 「日本は無くなり、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、抜目がない経済的大国が残るであろう」
という予言通り、その様な日本になっている。が、その先の新しい日本が誕生するのではないかと思う。
私たち美容師は、ヘアースタイルをつくる時、流行りの髪型ばかりを勉強し提供するばかりでなく、お客様1人1人の 「このお客様」 の 「この」 を大事にヘアースタイルを提供できる勉強も必要だ。